おはようございます。
今日は前回紹介した薬丸岳さんの「刑事のまなざし」に続く続編。
「その鏡は嘘をつく」を読んでみたので感想を投稿していこうと思います。
まず、前回紹介した「刑事のまなざし」は短編集でしたが、
今回紹介する「その鏡は嘘をつく」は一冊完結の長編でした。
今回、重要な登場人物がいます。
それは、検事の志藤さんです。
若々しく、才能と運にも恵まれ、検事でありながら積極的に事件に干渉していきます。
若いころはいろいろ苦労されたようですが、それをばねに現在検事として日々職務を全うしています。
今回はそんな検事の志藤と刑事の夏目の何について捜査をしているのかにフォーカスを当てて考えていきたいと思います。
まず、刑事の夏目はなににフォーカスを当てているのかというと、それは自分の考えとしては人の本音、真実にフォーカスを当てているのだと考えています。
夏目は犯罪者の犯罪を実証することを目的として捜査をしているのではなく。
その現場で人がどんなことを考え、どんな感情から、事件を起こしてしまったのか。
そこについてフォーカスを当てて捜査しているように自分は感じています。
対して、検事の志藤は犯罪者の犯行を実証することにフォーカスを当てているように感じました。
犯人がどのように犯行を行い、どのようにこの犯行現場の状況に至ったのか。
それについて実証することができれば、犯人の感情など特に気に留めてもいない。
動機などは事実を実証できればどんな理由でも構わない、そんな印象を受けました。
今回はそんな二人の視点から展開されていきます。
どちらが正しいんですかね?
自分としては、どちらも正しい。間違っていないと感じています。
どちらもやっていることに間違いはありません。
ですが、小説の最後。
夏目が突き止めた事実、ある人の想いを犯人に伝えたことで、自害を考えていた犯人の心が救われ、犯人の更生に繋がったように感じました。
検事志藤は事件の立証を目的に、刑事夏目は事実を明らかにするのを目的にそれぞれ捜査しました。
結果、夏目は人を生かし、気持ちを更生に向けさせた。
別に検事志藤がやったことが間違っていたわけではありません。
むしろ自分の職務を全うしている素晴らしい検事だと思います。
刑事夏目。過去に辛い想いを抱えながらも、人としての道徳を貫く姿勢。
こんな人、現実に実際いるのでしょうか?
もし、夏目の過去を描く予定があるのであれば、娘の絵美が通り魔に襲われた当初の夏目の心情を描いてほしいと感じます。
でも、痛みを知っているからこのような姿勢を貫けるのかもしれませんね。
続きについても気が向いたら書いていこうと思います。
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和泉。